2010年10月10日日曜日

サンクスギビングデーのパーティー(10月10日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2010年11月14日。)

朝は、日本にいた時の非常勤のテストの採点をしつつ、日本を出る時に知人がくれたブロックを組み立てていた。
(しかし一度に組み上げずに徐々に作った。このときは基礎工事?だけ。)
一大イベントの前に集中力を高めるにはよい行いであった。






数日前にF氏から「HI先生が、サンクスギビングのパーティーに、もう一人の日本人もどうか、とおっしゃっている」と聞いた。
HI先生というのは、奥行き知覚研究の巨匠のHI先生で、もう一人の日本人というのは僕のこと。


いわゆる外国のホームパーティーというものがよくわからないので一瞬たじろいだが、うれしいしありがたいので「よろしく」ということになっていた。

そしてこの日が来たというわけ。

バスと徒歩で1時間くらいかけてHI邸へ。
到着して挨拶するも、世間話をできるほどは我々の言語能力は高くない。
(僕はカナダに来て10日ほど。)
先生は心得たもので、いくつかパズルゲームを出してきて、「解いてみ」と。
先生はこういったパズルの類がお好きなようで、次から次へと出てきた。
F氏は「ポスドクとしての能力を測られている気がする」と必死に取り組んでいた。
僕は、板に刺さった一本の釘の頭の上に、6本の他の釘を乗せる課題を賜った。
・・・。
後で教えてもらったが、ある特定の方法で釘を組むと乗せることができるのだ。
しかし僕は「組むんだろうな」ということは解ったが その組み方は解らなかったので、正解よりちょっと劣る組み方を開発し、あとは器用さで乗せてしまった。
HI先生も若干「えー、たしかに乗ってるね・・」みたいな微妙な雰囲気で正解認定してくださった。

まもなく、奥さんのクラッシック聴き仲間の、アルメンという男性が現れた。
アルメニア出身だからアルメンと呼ばれているらしい。

そうこうしているあいだにぼつぼつと先生の親戚や知人が集まり始め、総勢20数名になった。
先生の奥さんはそのまま料理を作り続け、他の人たちはめいめいに話をしたりゲームをしている。
F氏の表現を借りるなら「日本の正月みたいな感じかな」。

集いしご家族の面々、聡明でありながらひょうきんな面をちらつかせるのは、H家の血筋なのだなと思った。

我々の到着から数時間後、HI先生が包丁とシャープナーをシャンシャンとこすりあわせてターキーを切り始めた。
そしてテーブルの上に料理が列ぶと、みなぞろぞろ集まってきて席に着きはじめる。
我々イレギュラーな日本人が混ざっているので、テーブルをつなげいすを家中からかき集めやっと全員着席完了。
日本なら「さて乾杯といきましょうか」という感じですが、ここでは着席した人から適当に飲み食いを始めていた。
ただ途中で一度、先生の息子さんがすこし挨拶を入れ、軽い乾杯のような動きはした。
もちろん、息子さんといってもすでに子供ではなく4,50代である。


ちなみに、その息子さんと劇似の人がいて、識別するのにかなり苦労した。
後で解ったことだが、双子だそうだ。

料理はどれも優しい味であった。
場はめっちゃ家族な雰囲気に包まれていた。
食後もめいめいに席を立ち話やパズルなどを始めた。
さすがにここからは家族の時間であるし、夜ももう9時過ぎなので退席することに。
感謝の気持ちと退席の旨を先生に告げると、「送ってあげる」とバス停まで送ってくださった。

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