2011年11月4日金曜日

VMWare Player 4.0 on Linux 64bit

Fedora15 64bitをホストとしてVMWare Player 4.0をインストールした。
そしたら、VMWare自体は一発で起動したが、バーチャルマシン(Windows 7 64bit)のファイルを読み込んでも、64bitのシステムに対応していない旨のアラートが出て、起動に失敗する。

「対応してるはずやろー」と言いながら、解決策を模索するも不明。
色々試したが無理。
諦めて、他の作業をする。
あとからもう一度トライするとなぜかバーチャルマシンが立ち上がった。
いったい何が起こったのだ。
思い当たる節は、yum install wine-*したことくらい。
解決できた理由は不明だが結果オーライ。

Fedora 15 でWLI-UC-G301N


Fedora15にアップデートしたら、またしてもWLI-UC-G301Nが認識されなかった。
しかし、yumで kmod-rt3070だったかakmod-rt3070だったかをインストールするとそれだけで認識された。
うれしー。
 


Fedora 14の時は確か、
http://www.ralinktech.com/en/04_support/support.php?sn=501
からドライバ落として、解答した中身の ./common/rtusb_dev_id.c に
  {USB_DEVICE(0x0411,0x016f)}, /* BUFFALO */
 を追加して、./os/linux/config.mk の
HAS_WPA_SUPPLICANT=y
HAS_NATIVE_WPA_SUPPLICANT_SUPPORT=y
のオプションnをyに変えて、コンパイルして、モジュールロードして・・・と面倒だった。
これだからLinuxは・・・となりそうだが、このデバイスはWindowsでも一発認識されなかったような。

2011年10月18日火曜日

うどんの名前

僕はうどん屋では、ぶっかけうどんは注文しない。
なぜなら、名前がかっこわるいから。
かけうどんは良い。
「かけ。」と頼むのはむしろ粋な響きでさえある。

わざわざ「ぶっ」なんていう接頭辞を付けるほどダイナミックな物でもなかろう。
代わりに、ひたしうどん、なんて言う名前なら、「ひたし。」と頼んでやらないこともなかったのに。
とか何とか言いながら、いつも頼むのは「きつね」か「ざる」です。

2011年9月26日月曜日

The last day at YorkU

ふむ。
明日の朝にはアパートを空にして飛行場へ向かわねばならぬ。
カナダ西部をぶらぶらしてから出国するので、日本に着くのは10月2日。

荷造りはだいぶできた。
前日に準備が終わるなんて、珍しい。
なにか重要なことを忘れているようで怖い。

やはり、1年は早かった。
しかしここへ来る前の一年と比べると、それほど早くない、というか。
「げっ、一年経ってしまった!」という焦りがない。
これは、充実していた、ということか。

2011年9月16日金曜日

あー。もうこんな日か。

前回の日記で「トゥールーズ1日目」と書いておきながら、2日目以降が書かれていない(笑)
その後、数日間学会だったのでそこで過ごし、学会が終わったらパリで2,3日ぶらぶらしてきましたよ、と言う話でした。

旅行に行った直後に日記を書くと、何でもかんでも経験したことを書きたくなって、やたら長文になってしまっていけないな。
いや、いけないこともないけれど。

さて、フランスからトロントに帰ってきて10日経った今日なら、フランスでの経験をコンパクトにまとめられるのではないだろうか。

僕が今思うことは、次の数点に絞られている(トロントと比較して)。

・フランスの一般人は、あまりフレンドリーではない感じ。しかし親切な人はたくさんいた。まあ、日本人もそんなものかな。トロント人はフレンドリー。
・フランスでは、レストランで観察した限り、食後のデザートは当たり前。かなりのボリュームの料理を食った後でもがっつりデザート。おっさん同士で飯食っている時も、必ず頼んでいる。しかも、おっさんほどガッツリ食べている。
・フランスのパン屋は高確率でうまい。一方、トロントのパン屋はちょっと素人っぽい味で、クロワッサンはモスラのような形状である。
・トゥールーズでは、基本的にチップは不要だそうだ。レストランで隣に座った人が教えてくれた。通常以上に、本当に感動した時だけ渡せばよい、と。パリでは現地人には聞いていないが、雰囲気的にどうも不要なようだ。チップを渡すと、一瞬キョトンとされる。一方トロントでは、強制ではないが、払うのが当たり前。
・トロントに帰ってきてきて思ったのは、「これだけ人の集まる都会で、これだけダサイファッションが闊歩している街もすくなかろう」。

さて、もう後2週間ほどで帰国のわけで。
早いものである。
とても。

2011年8月28日日曜日

Toulouse 1日目

(後日写真をアップロード)

カナダからの飛行機が中継地のフランクフルトに着いたときにはすでに大幅な遅れ。
フランクフルトからトゥールーズまでの便は振替。
フランクフルトで4時間待ち。

無事トゥールーズに到着。
タクシー代、即効でぼった繰られた感じがある。
空港からホテルまで40ユーロ。
最初、フォーティーンと思ったのに、よく効くとフォーティーといっている。
ついでに「ふぉー、ぜろ」と言われた。
ちっ。
ホテルの中でいくらくらいかかるのか聞いたら、30か35ユーロくらいじゃないかしらと。
へー、思ったよりかかるんだな。
しかしその微妙な差額がよけい気になる。
ちなみに、シャトルバスで移動すれば5ユーロだったらしい。
ちーん。

ホテルにチェックインして、町を散策。
趣のある良い景観。
しかし道は若干汚い。
建物は美しい。

3時ごろから歩き始めて、暗くなるまえに主なエリアの半分を踏破した気がする。



2011年8月6日土曜日

延長戦が接戦である(8月5日)

延長戦が接戦である。
延長戦に突入し、なおも接戦を繰り広げる。
熱い。
しかし僕が入力したかった文字は、「延長線が接線」である。
なんだか残念だ。

2011年7月27日水曜日

さむい(7月26日)

先週は何十年ぶりかという記録的な猛暑に見舞われたトロント。
それでも37度。
その一日と、前後数日は暑かったけど、今日なんて寒いくらい。
今は夜中で、21度とか。

来年の夏、日本で生き残れるだろうか。

もちろん暑さ的な意味であって、仕事があるかどうかという意味ではない。
それはまた別の、もっとリアルな話ですから。

2011年7月17日日曜日

ひさびさの日記(7月16日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年7月16日。)

なんだかんだと言っているうちに7月も後半に入ろうかという今日。
しばらく(このブログに)何も記録していなかった理由は、
1.ダーリンがこちらに来て、彼女が生活記録ブログを書き始めたのでそちらに任せていると言うこと。
2.このブログの入力フォームに日本語入力するのが微妙にうまくいかないこと(ATOK, Linux, Firefox, Google Bloggerといういくつかの要因の組み合わせでなっていると思う。)

3ヶ月間の空白があるわけで、それは1年の4分の一であり、死んだと思われても仕方ないくらいの空白だ。
しかしその期間は主観的にはあっという間で、時間経過の早さは大人の証。

ポスドク期間をちょこっと延長できるかも、とボスから言われたが、ちょっと私的な用事により、辞退させていただいた。
もったいないと言えばもったいないが、仕方あるまい。
その用事というのも、ネガティブな物ではないのでよろしかろう。
ということで、そろそろ次の仕事をゲットしないと本格的に危ないな。

カナダに来て10ヶ月、英語がぺらぺらになった訳でもなく、研究成果が量産されたわけでもない。
しかし、来る以前の数年間に死にかけていた研究脳のリハビリにはなったかなと思う。
普通、海外留学すれば飛躍するはずなのだが、僕の場合はやっと「並」のレベルに戻れたという感じか。

ダーリンも楽しくやってくれているようだし(今も語学学校の友人と外出中)、よかったよかった。

2011年5月18日水曜日

Firefox 4 on Linux 64 クラッシュレポートを無視

Firefox 4がリリースされてしばらく経つが、前から気になっていた不具合が直っていなかった。
通常に動作しているように見えつつ、終了させた時にクラッシュレポートの画面が立ち上がるというもの。

結局、./firefox/crashreporterという実行ファイルを適当な名前にリネームしてやった(笑)
これでもうあのダイアログが立ち上がることはない。
完璧。

(2012/12/15:追記)--------
なんだかprofileフォルダにロックファイルが残るので,それを消すシェルスクリプトを書いて,crashreporterという名前で設置してやったら,ちゃんとロックファイル消してから終了してくれるようになった(笑)
--------


解決(?)に当たり、まずはググってみたが、原因がわからず、スマートな解決方法は見つからなかった。
プラグインを全部抜けとかインプットメソッドの設定を変えろとか書かれているが、どれも当問題の解決にはつながらなかった。
あきらめて、クラッシュレポート自体を無効にする方法も調べたが、それもむりぽ。
「そういう時は無効にするのではなくバグを直すべきでは?」みたいなコメントも見られたが、まあ、それはまた今度・・・誰かがなおしてくれるさ。
まあ、通常に終了できていないと言うことなのだろうが、特にメモリを食い尽くしたりもしないようなので、放置したい。
そこで取った策が、そのバイナリを隠しちゃうと言う上記の方法なのでした。
誰か、同じ問題を抱えている人は試してみてうまくいくか教えてください(笑)

2011年4月21日木曜日

またカナダ(4月20日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年6月3日。)

とりあえず朝起きて、ボスの所へ。
ふむ、この日一日は何をしていたかよくわからん。
とにかく、データの解釈を考えていたことは確か。

頭が冴えない。

2011年4月19日火曜日

成田で時間をつぶし出国(4月19日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年6月3日。)

朝から伊丹を出たは良いものの、実は昼前から夕方までの8時間を成田でつぶさねばならぬのだ。
しかし、ダーリンと一緒と言うこともあって、さほどヒマを感じず、二人でダラダラしていたら時間が来た。
一発ビールを飲んで、出国。

2011年4月18日月曜日

実家を出る(4月18日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年6月3日。)

昼まで家でゆっくりして、夕方には実家を発つ。
電車で一路大阪の豊中へ。
次の日の朝の飛行機で成田へ行かねばならぬので。
空港前のモノレールの駅に着いてから、行き当たりばったりでホテルを探し始める。
どうも空港の建物内にホテルも併設されているようだ。
電話をして値段を聞いてみるとさほど高くもない。
なので「今から行きます」と予約をして、数分後に到着。

狭い部屋ではあるが、改装直後なのか、とても綺麗(室内だけでなくロビーなども)。
これは良い。

一旦荷物を置いて、夕食を食べに行く。
タクシーを捕まえて、蛍池か石橋か、食いもん屋の開いていそうな所へ、とお願いする。
じゃあ、ちょっと遠くなりますけど、石橋の方が良いですね、と向かい始める。
しかし空港のロータリーから出てわずかのところで、「あ、お客さん、ここの中華料理屋も結構美味しいですよ、雑誌なんかにも出てるみたいで」と教えてくれた。
ダーリンと相談して、それならば、とそこで降ろしてもらった。
店内には確かに雑誌の切り抜きが飾られていた。
正直に言うとどんな味だったかまでは憶えていないけど、馴染みやすい味だなと思ったことは憶えている。
帰りは歩いてホテルに戻った。

2011年4月17日日曜日

さよならドジョ(4月17日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年6月3日。)

今まで家で飼っていたどじょう、その名もドジョを実家の近所の水場に逃がしに行く。
人間の勝手な都合で捨てられるかわいそうなペット、ドジョ。
泣ける。
たかだかドジョウ。
しかし大学1年生か2年生の時から、10年ほど一緒に暮らしていたのだ。
スーパーマーケットの鮮魚売り場で食用として売られていた彼。
店のお兄さんに一匹いくらかと聞くと、「量り売りだけど・・・もしかして飼うつもり?あはは、じゃあ、しかたない。」とサービスで5匹頂いたうちの、一本(一匹)が彼なのである。
もらった時にネットでドジョウの飼い方を調べると、「うまく飼えば1年は生きる」とか書かれていた。
しかし、彼は10年生きて、まだまだ元気であった。

生態系が崩れる?
そうかもしれんね。
なんなら食ってしまうという手もあったが、それはどうしてもできなかった。
だって水槽の水が汚いんだもの(笑)


なかば伝説上の生き物と化したドジョを撮影した貴重な写真。
写真上半分に、ゴミの下をくぐるような姿で写っている(左を向いている)。
(下半分に移っているにょろっとしたものはゴミ。)

その後、実家に宅配で運ばれてきた冷蔵庫を受け取り、良きに計らう。

2011年4月16日土曜日

さよならN岡京(4月16日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年6月3日。)

朝から引っ越し作業。
夕方には立ち退きの立ち会いがあるので、完璧に終わらせねば。

貸倉庫も、もうパンパンである。
そこに何とか詰め込み、入らない物は自動車に詰め込み、なんとか終了。

立ち退きの後、自動車の微妙な隙間にさらにダーリンを詰め込んで、実家へGO.

途中、旧宅(すでに)の近所の回転寿司へ行く。
僕がカナダに住み始めてからできた店だが、回転寿司の割にネタがよいと評判だったので。
たしかに、良い。
僕が住んでいた時にあれば良かったのに。

夜に自宅着。
荷物を降ろしておやすみなさい。

2011年4月15日金曜日

引っ越し&ゴミ廃棄(4月15日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年5月15日。)

朝から引っ越し。

冷蔵庫はさすがにでかくて素人で運べる大きさではないので、運送業者に取りに来てもらった。
そしてこれは貸倉庫ではなく、僕の実家に置いておくことに。

夕方には引っ越し作業に終わりが見えてきて、粗大ゴミ含む大量のゴミを市の廃棄施設に持ち込む。
直接持ち込めば意外と安い。
あんなに「物の無い生活」をしていたのに、やはり引っ越しをするとたくさんのゴミが出る。

夕食はダーリンとホルモン食う。
徒歩なのでビールも飲む。

2011年4月14日木曜日

自宅着(4月14日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年5月15日。)

朝、早く出発して羽田に向かわねばならないが、ホテルの食堂がなかなか開かない。
といっても時間きっちりに開いたのだが、なんとなく焦る。
昨晩の夕食は微妙なバンバーグ定食だったが、朝食はビュッフェ式。
とりあえず、納豆を食べ、温泉卵を2個食べた。

食後部屋に戻り、荷物を持って降りるとすでに羽田空港行きのシャトルバスが来ていた。
それに乗り込み、あとはなされるがまま。

昼頃に自宅に到着。

久しぶりにダーリンとともに昼食を摂る。
そして早速引っ越し作業に取りかかる。
まずはざっくり箱詰めをして、貸倉庫に持って行き、倉庫の大きさを確認。
かねてよりダーリンは「余裕で入る」と言っていたが、僕の見立てでは「そうか?」という感じ。

食事は、残念ながら、豪華な手料理とはいかない。
なぜなら、明日までに冷蔵庫をカラにしておかねばならないので。

夜まで働き、就寝。

2011年4月13日水曜日

一日遅れ(4月13日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年5月15日。)

本当なら、13日のうちに京都(長岡京)までたどり着くはずだった。
が、出発の遅れのせいで、日本に着いたのは夜の9時を過ぎてから。
空港で、「もう伊丹へ向かう便はないので成田で一泊せよ」との指示が下った。
なんじゃとー。

とにかく成田で要領を得ない説明を受け、シャトルバスでホテルへ移動。
(係のお姉さんは明らかに日本人で、僕に日本語で説明してくれたが、それでもわかりにくかった。僕の後ろの人には英語で説明をしていたが、あれで通じたのだろうか?)

航空会社が取ってくれたホテルは、成田エクセル東急ホテル(もちろん料金は航空会社持ち)。

部屋に入ってみると、案外古い(笑)

当ホテルのWebページを見ると、もっと綺麗な部屋の写真が掲載されている。
Web用に綺麗な部屋を選んだか、緊急用の部屋は改装前のボロイ部屋を当てているか、その両方か。
理由はともあれ、こんな部屋でした。

2011年4月12日火曜日

日本へ一時帰国(4月12日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年5月15日。)

今回の帰国に関しては、日本の知人には知らせていない。
帰国の目的は引っ越しで、その作業だけで時間が一杯一杯だから。
ああ、遊びたい。


朝、指定した時間を過ぎてもタクシーは現れず。
一旦部屋に戻り電話やメールを確認するも、何も連絡は無し。

4,50メートルほど離れた道路をどんどんタクシーが過ぎてゆく。
この時期、学生もホリデーや故郷に帰る人が多いらしい。
そうこうしていると、15分を過ぎた頃に、一台のタクシーが目の前に停車。
やっとかよ。
と、歩み寄ろうとすると、「ちがう、ちがう」という感じで手を振られた。
降りてきたドライバーに、「え、僕のじゃないの?」と聞くと「違うよ。」と。
彼は単に、アパートの一階に置かれている無料の新聞をもらいに来ただけのようだった。
なぬーっ。

しかし新聞をゲットした運転手のおっさんが、「待っているのはどこのタクシー会社だ?」とか探りを入れてきた。
会社名を伝えると「・・・知らんなぁ。良かったら、乗せていってやれるけど、どこまで?」と。
一瞬迷ったが、甘んじることにした。
元のタクシー会社には、(僕は携帯を持っていないので)空港に着いてから連絡入れておけばよいか、と。

やはり、タクシーは速い。あっちゅうま。
運転手に、「バスなら1時間半かかるのにね。」と言うと「おうよ、そりゃバスよりは少し高いけど、こっちの方が断然便利だよ。」と言っていた。
「そうですね。」と言いながら、心の中では「(いや、だいぶ高いやろ)」とつぶやいた。

 とりあえず、朝食は軽く食べてきたが、空港でヒマなのでもういちど朝食を摂ってみる。

ハンバーガーをガッツリ。

念のため、電光掲示板で便の確認をする。
曰く、定刻通り。
よろしい。


実は、はじめから元のタクシー会社を信じておらず(笑)、いざタクシーが来なくてもバスに切り替えればギリギリ間に合う時間に家を出ていたので、だいぶはやく空港に到着していた。
出発の4時間前。
まあ、国際線は2,3時間前に着いておけと言うし、ちょっと空港内でぶらぶらしてりゃ、大したことない。

ひとしきりぶらついた後、出発ゲートに戻ると、ゲート番号の変更があった。
変更された場所へ行ってみると、 なんか、雰囲気がおかしい。


電光掲示板で確認すると、どうやら遅れが発生しているようだ。
まじかよー、とか思いながらよく見ると、4時間以上も遅れる、とな。
ダルすぎる。
記念に掲示板の写真を撮っていると、見知らぬ日本人に「Do you speak Japanese?」と聞かれ、思わず「Yes.」と答えてしまう。
そこは「はい」で良いだろう。
その方と「これって、こういうことですよね?」などと確認していると、さらに他の日本人も会話に加わり、3人ですこし話し合う。
いや、表示通りなんでしょうが、こんな天気の良い日になんでいきなり?という疑問もあり。

夕方になり、やっと我らが飛行機到着。
実は本来乗るはずだった飛行機は、調子が悪かったとか何とか、という噂を(盗み)聞いた。


8時間ほど空港で待っていたのか。

これだけ時間があったら、いっぺん家に帰ってくつろいでから来ることもできるな。

 バスでな。

2011年4月11日月曜日

出発準備(4月11日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年5月15日。)

朝食。

朝、ボスからこう言われた「修正版の論文を再投稿した後、ビールを飲んだか?」。
「まだです。」
「それは、いけない。論文がダメになってしまう。」
ボスの長年の経験則から、投稿後にビールを飲まなかったらその論文は悲しい結果を迎えるのだそうだ。

昼からF女史に実験参加してもらい、ごにょごにょして一日終了。
とりあえず飛行機の便番号などが書かれた旅程表をプリントアウトしておく。

4時に仕事を切り上げる。
学内のパブでとりあえず1パイントだけ飲んでおく。
一人ぼっちですが。
 幸運よ、これで何とか持ちこたえてくれ。

帰宅後、4時台に晩ご飯。
豆カレー。

先日から作ってあったので、掛けるだけ。
日本からこちらに戻ってきたときに食べるものがないといけないので、あまりは冷凍しておく。

明日は日本へ発たねば。
いろいろ考えに考えた末、バスではなくタクシーで空港まで行くことにする。
英語電話に自信がないので、Webで予約できるところを探し、発見。
時間などを入力し、「Submit」ボタンを押すと、確認画面はもとより、「送信しました」といった画面すら表示されず、元の画面に戻った。
さすがに心配になったので、結局そのタクシー会社に電話をすると、「ああ、明日の朝9:30の予約を今入れた人ね。ノープロブレム!」
これで一安心。

学生さんにやってもらうことがあったので、僕がカナダを離れている間にやってもらおう。
その指示をメールで送信。

明日の荷物の準備。
何度も「明日で良いのよね、飛行機、合ってるよね、パスポートって、これの事よね」と確認。

2011年4月10日日曜日

(4月10日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年5月15日。)

朝ご飯。

 昼ご飯。

スケジュール帳をめくってみても、この日の記録は何も書かれていないが、記憶によると、確かF氏とどこかのスーパーへ行った様な気がする。


そこでSkypeのログを掘り返してみると下のような会話があった(要約)。

 F氏「買い物に行こうと思うけど、行く?もうすぐ日本に行くから必要ない?」
僕「どこまで?」
F氏「まだ決めていないけど、大量のパスタがほしいのでWalでもいいな。」
僕「Walなら行かない、ヤバスーなら行く。」
F氏「じゃあ、ヤバスーにしますか。」


で、買い物で何を買ったのか不明。
こちらに来た当初はレシートも置いていたけど、最近はどんどん捨ててるからな。
とにかく、夕食を見る限り物を買ったのかどうかも不明なくらい。
たぶん、卵を買った気がする。

2011年4月9日土曜日

(4月9日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年5月15日。)

肉を食べない月間は続く。
朝食はタマゴサンド。

昼食は大根のたいたん。
冷凍庫から掘り出したと思われる。
解凍された大根はつぶれるような食感がよろしくない。

 高野豆腐とレタスのようなものを食べてお休み。

2011年4月8日金曜日

(4月8日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年5月15日。)


F女史に実験に参加してもらい、その後つづけて英語を教えてもらう。

晩ご飯。
なんだこれ?
豆カレーを出汁か何かで解いてリングイネにかけた物と思われる。
縁で泡立っているのがなんかヤだ。

2011年4月7日木曜日

コーヒーメーカーを購入(4月7日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年5月3日。)


色水。うまい物ではない。
まあ、溶けた「チューペット」。


上の飲料を買ったときに、おつりの所で・・・・

中国のお金発見。
正規のお釣りプラスこれがあったので、詰まっていたのが出た来たか、誰かがいたずらで受け取り口に置いていたか。
(2011/05/15追記:どうやらこの貨幣は、あまり流通はしていないそうだが、wu jiaoという音が縁起の良い言葉と同じとかなんとかで、慶事に使われたりするとか何とか。ということは、誰かが縁起物として財布に入れていたコインを間違って自販機に投入しちゃったのでしょうか。)

この日はコーヒーを飲んでいない。
やる気が出ないので家に帰る。
というのも、朝、コーヒーを入れようとしたらコーヒーメーカーのガラスをシンクに当ててしまい、ヒビが入ったのである。

なので帰宅後早々に近所のスーパー(ヤバスーではない)へ自転車で行き、安物のコーヒーメーカーを購入。
今までと同じ位置に置きたいが、コードが短くて届かない。
どうしようか。


夕食は豆ONパスタ。
そしてライスペーパーで野菜を包んだもの。


微妙にパスタとライスペーパーがあまったので、合体させてみた。
名付けて、「パスタのサナギ」。

2011年4月6日水曜日

バン(4月6日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年4月30日。)


おー。
東北地震の後、沖合に浮いた家のがれきの上で数週間過ごしていた犬、バンの記事(@The Toronto  Star )。




2011年4月5日火曜日

書き物の指導を受ける(4月5日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年4月30日。)


朝食。
昨日、多めに作って置いた焼きめしを温めて食う。



書き物、といってもほんの数百語の文であるが、完成を目指す。
ボスは(いろんな意味で)非常にストリクトである。

夕方は前日に取ったF女史のデータを分析する。

帰宅後、豆。
 豆は偉大である。

食後は読み物。

2011年4月4日月曜日

(4月4日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年4月30日。)

朝食。

この日は書き物中心に作業。


おやつの時間に自動販売機でチョコ。
ぬがー。超甘い。


帰宅後、焼きめしを作る。
 そして食う。

研究を進める、人と心地よく付き合う・・・すべての要は英語であるなと思う。

いえでごちゃごちゃと(4月3日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年4月3日。)

今日は朝10時頃まで寝てた。
起きてコーヒー飲んで、昼前に朝ご飯。
醤油味ですが、麺はパスタです。

その後時計が昼頃になったので、律儀に昼食を食べる。
あー、まじでこのピタ食べるのめんどくさい。
この写真のように半分に折っても割れる。
ちなみに半分に切ってドラえもんのポケットみたいにしてもボロボロと破れて話にならん。

昼からごちゃごちゃしてたら夕方になった。
何となくテレビを付けたらBarnyardというCGアニメが放送されていた。
牧場の動物たちの話で、主人公は擬人化された雄牛。
どの動物も擬人化されてるから、リアリティなんてものは無いのは解る。
が、雄牛にもメスと同じ巨大な乳が付いていたのだけは最後まで気になった。
出てきたときにメスだと思ったらおっさんの声でしゃべり出して、メスっぽい牛に声を掛けて。さらに「Hi, dad.」「Oh, son.」という会話では両方とも乳付き。
ネットで調べてみたら、やっぱみんな違和感を感じていたらしい。


6時頃に家を出てちょこっと大学へ。
1時間半か2時間くらいして帰宅。

晩ご飯はフレンチトーストのようなもの。
ただし、液につけ込まず、フライパンに載せたパンの上に液をじゃーっと掛けた。
そして牛乳が多かったのではみ出た液はモロモロに。
それでもまあまあの味。

学校へ行ったときは温かく、ニットのパーカーだけでOKだった。
カナダもそろそろ春なのか、と思っていたら、今、窓の外、雪降ってるぅーー(笑)

2011年4月2日土曜日

一日中座っていたが何も起こらず(4月2日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年4月3日。)


朝食。
このピタは曲げるとどうしてもボロボロと崩れてしまうので、上に載せた食べることに。
もう二度とこのピタ買わない。
 
食後パソコンの前に座る。
座ったからと言って急に頭が良くなったり分析が終わったりとか、そういうことは起こらない。

昼食。
豆スープは、炊きたての時の鍋の奥の方は色がまだあまり黒くない。

14時にF氏とヤバスー。

あと10日で家を空けるので、あまり買い込めないなあとか思いつつ、レタスっぽいものを2つも買ってしまった。 まあ、いざというとき用に牛頭マークのライスペーパー(手前円形の物体)も買ったから消費仕切れないことはない。
手前の黄色い袋は、印度菓子。
以前から店で見るたびに「なんじゃこれ・・・」と気になっていたのだが、ちょっと安くなっていたので試しに買ってみた。
んー。
予想通り、硬い揚げ玉みたいな感じで、質の悪い油の味がする。
まだ終戦間もない頃に駄菓子屋で食べた味だなあ、と想像できる味。
HOT MIXと書かれているが、これっぽっちも辛くない。

それと、小さなカップデザートが77セントくらいだったので買ってみた。
美味しい。より厳密に言えば、普通の味(笑)

その後はまたパソコンの前にすわってみたが、何も起こらなかった。

夕食に何を食べようかと考えていたときに、ピタをうまく巻けるかも知れない方法を思いつき、再挑戦する。
食品用プラスティックラップ(サランラップのようなもの)を巻き寿司の巻きすのように使って巻けばうまくいくのでは、とのアイデア。
結果はこの通り。
この崩壊ぶりはすばらしい。
「破れる」とか「折れる」とかではなく、「砕けてレタスと入れ替わってしまう」。
写真で見るとレタスが多すぎるように見えるが、実際には(ちょっと多めだけど)それほど多くもない。


ところで震災に関して、今ではめっきり、海外メディアの論調は日本政府と東電批判になっているようで。
確かに批判されても仕方なさそうな対応だが、別にそこまで一生懸命批判する必要もないはず。
厳しい批判は、「原発が悪いんじゃなくて使用者が悪かったんだ、うちの原発は危険じゃないんだ」と思いこみたい気持ちの現れなんだろうな、と思う。

2011年4月1日金曜日

久々に夜まで働く(4月1日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年4月3日。)


朝ご飯。
ご飯が少ない上に、電子レンジで温めすぎてカチカチになってしまった。
なのでこの後、汁掛けご飯になった。


朝のミーティングの後、全然違う実験のプログラムを書こうと思っていたけど、メインの実験のプログラムに微妙な箇所があるのを思い出して修正(?)。
さらに学生さんに実験遂行の指示などを出した後、修正したプログラムの動作確認。
(実はこのプログラムを使って学生が実験するので、指示出しと動作確認の順序がダメ。)

その後、卒業生のA女史の実験に被験者として参加。
開始前に雑談をしていて、Poutine という料理があることを教わった。
他にも、ティムホートンのコーヒーが当たり付きだとか、いけてる音楽をながすonline radioとかも教わった。
良き市民である。

そうこうしている間に夕方になってしまった。
そこから、論文の修正を開始。
一区切り付いたら夜の8時半であった。
こんな時間までオフィスにいたのは久しぶりだ。
実験室にはたまにいるけど、それもまれで、たいていは6時頃には帰るからな。

ああつかれた。

晩ご飯はフェトチーネ。
具は貝とエビとエンダイブ。
うまい。

2011年3月31日木曜日

他人の研究にはいくらでも意見を言える(3月31日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年4月2日。)


朝ご飯。
パンと高野豆腐。
いやぁ、スープ系のものがなかったので、彼(高野豆腐)の汁にあやかる。
何ともすばらしい食卓だ。
パンにいたっては、Pink FloydのDivision Bellの写真みたいになっている。
まあ、本当はそれよりも先に連想されたのはGentoo Linuxだけど。

朝、ボスとのミーティングでアブストにコメントをもらった後、僕が部屋を発つときにボスが「今日は早く帰るが2時半くらいまでは居る。必要ならまた来なさい」と。
なので、午前中に修正作業、そして昼からリトライして見てもらう。
午前中と同じくらい訂正箇所を指摘される。
再び部屋を去るとき、背後から、「こういう作業は、一発(one shot)で決まるものでもないからな」と言うような声を掛けてもらった。
訂正されたことに対して僕自身はうれしかったのだが、落ち込んでいるように見えたのだろうか。
うれしい時にはうれしそうにしよう。
演技という意味ではなく、素直に表出するという意味。

その後も修正作業に精を出す。

日本の某RからこられているM氏から、最近、コーヒーマシンの使い方を教わったので、飲みに行く。
(必要分は毎日ボトルに入れて持って行っているが、このマシンだとエスプレッソとかカプチーノが飲める。)
そこでM氏と目が合い(?)彼の実験結果について雑談。
自分の研究ではないので、いくらでも好き勝手なことが言える(笑)
彼はメインは(おおざっぱに言うと)ロボットの研究で、心理学っぽい研究のことはよくわからない、と謙遜なさる。
ただ、事実として、実験で出てくる測定誤差の大きさには参ってらっしゃる。
そういう問題があるからこそ、ここに来られているのだろう。

その後実験室で学生Y氏とたまたま出会う。
ちょうど用があったので話し合う。
ある測定に関する指示を出すのだが、なかなか伝わらず、僕がやった方が明らかに早い。
それは僕も向こうも解っていたと思うが、そういうものでもないのだ。たぶん。

F氏とともに帰宅し、2時間ほど彼と我が家でだらだら。

気がつくと8時なのでさようならして晩ご飯。

大根と揚げの煮物(たいたん)。

ご飯のふりかけは日本から持ってきたちりめん山椒のようなもの(既製品)。

2011年3月30日水曜日

英文作成作業(3月30日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年4月2日。)

朝ご飯。

この男はどこへ向かおうとしているのか。
とにかくそこは新境地である。
今日の朝ご飯はクリークチーズを塗ったパンと、揚げと大根の煮物である。

前日の晩書いたアブストをボスに見てもらう。
いろいろと指摘をもらう。
実はちょっと自信があったが、ボス水準では「全然だめ」という感じ。たった200語の英文のあちこちにボールペンでコメントが入る。
見た目はごちゃごちゃのぐちゃぐちゃであるが、宝の山である。

実はこっちに来てから、ボスから英作文に関する指導を受ける機会がなかった。
ここに来てやっとその機会ができたというわけだ。

この日は一日中そのアブストの修正作業をしていた。
ただしまたその学会に参加するかどうかは決めかねている(笑)


帰宅後、晩ご飯。
最近は帰宅後も外が明るい。

大根と揚げの煮物(昆布入り。そしてだしのカツオ節も入ったまま)。
高野豆腐。
エンダイブをごま油で炒めたもの。
うまい。
ただし、どうも煮物が濁っている気がするが、気のせいか、硬水のせいか。

2011年3月29日火曜日

学会参加しようかどうか(3月29日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年4月2日。)

 朝ご飯。
 乾いたパンはあるが汁物がなかったので、急遽、粉のだしでなにか汁っぽいものを作る。

この日やったこと?ここ一週間ずっと一緒。

はい、ただいまー。
ご飯食べるねー。
台所が暗いので、白いまな板の上の大根を千切りにするのが嫌になった。
見えないのだ。
で、少量、かつ、太い。
ちなみに、パスタの皿の奥側に乗っている黒い物体はマッシュルームなど。
せっかく作ったので味見もかねて。
結局、混ぜて食った。
うまい。

食後、某学会のアブストラクトを書いてみた。
まだ参加するかどうか決めていないけど、とりあえず書いてみた。


ちなみに、この日でダーリンはラスト出勤だったようだ。
おつかれさん。

2011年3月28日月曜日

最近粉モンが多いな(3月28日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2011年4月2日。)

むむ。
朝食の写真がない。
よろしくない傾向である。
夜更かししたことがばれてしまう。

朝、ボスとのいつものミーティングの時間に、他の学生が来ることになっていたので、立ち会う。
と言うのも、夏の間に勉強しに来る学生がいて、まあ、その人に案内したって感じ。
しかしなんだかんだ行って、いろんな人が来るもんだ。


ランチはベーグルサンド。
最近常に持参で、目玉焼きが挟まれた何かを食べている。
投稿論文の修正作業が終わったと思ったら、実は「こんなの忘れてました」的な感じでエディターから新たな要修正箇所のリストが届いた。
こ・・・これは・・・きつい・・・。
しかし、丁寧に見てもらったのだな、とうれしくなる。
とにかく、修正するのが厳しい箇所がいくつかあるが、何とか努力することで論文がより良くなる。

この日は一日中その作業。

早い目に帰宅し、夕食

ピタにレタスと卵とカッテージチーズを巻いて食べようとしたが、どうもこの生地は柔軟性が無く、ポロポロを折れてしまう。
なんでだ。