2010年9月30日木曜日

とても長い9月30日

とりあえず、カナダに向かって歩き出す。
最寄りの駅から京都駅へ。

京都駅でとりあえず写真を撮ってみる。
え、荷物これだけ?と思ったら大間違いである。
巨大な旅行鞄の上にこのセルフタイマーのカメラが乗っているのだ。

自分の写真を撮ってみる


この新幹線に乗るのである。
電光掲示板にはのぞみ14号と書かれている。


東の都で、成田エクスプレス29号なるものに乗り換え、成田空港に到着。


成田に着いた時はまだ明るかったけど、搭乗の際にはもう暗くなっていた。
とりあえず、自分と同じ飛行機に乗る人の列を撮影してみる。


長い長いフライトを終えて、カナダに着くと、今日はもう一度明るくなっていた。
が、もう夕方なのですぐに暗くなった。

空港から大学までタクシーで行く。
中央アジアから南アジアっぽい運転手の英語はアクセント(なまり)がきつく、僕は「これがトロントだな」と納得する。
つまり、移民の街。
降りる時にタクシーの運転手に「つりはいらねー」って言ったら荷物おろす時にめっちゃ機嫌良かった。
30kgある鞄をおろしながら、"You have a very light baggage, eh? "
だと。

我が新天地、York大学でF氏(日本人。一つ年上?)とご対面。
F氏は僕より2ヶ月早くこちらに来られている。
事前にメールではいろいろお話を伺ってお世話になっていたが、対面は初。
僕の到着時にはアパート(大学の附属)の事務が閉まっているので、F氏が鍵を預かってくれていたのだ。
F氏とは同じアパートの同じ階である。
F氏の部屋でスパゲッティをごちそうになり、我が家を再確認。

我が家にソファーがあるのは、これが生まれて初めてである。


調理ストーブは、電熱式、オーブン付き。

これだけの面積があるならシンクをあと5センチでよいから拡張してほしい。

これから半年はダブルベッドを独り占め。
現地妻ができてしまう前に、本妻は早く来なければならない。

カナダ初日は、とりあえず、トランクスとグンゼの白いシャツでおっさんスタイルを貫く。

2010年9月29日水曜日

前日(9月29日)

(淡々とした単なる記録。これを書いているのは2010年11月13日。参照。



午前中は家で、昼からは大学で荷造り。
結局そういうことだ、前日までやっているのだ。
午後に学内の郵便局で荷物の送付手続き。

本を大量に送ったので2,3万は覚悟していたが、何千円かで済んでしまった。
安すぎる。
オフィスに戻ってごちゃごちゃと残った仕事をしたり、うろうろしていたらケータイに着信アリ。
出たら、さっきの郵便局の人が平謝りしつつ、「いまどこですか?」と。
荷物の重さの単位を間違えていた模様。
結局戻って、不足分を払ってあげた。


荷物を預けた時と同じ女性が出てきた。
さっきはどちらかというと不遜でつんけんした感じだったけど、こんどは女っぽい角度でペコペコしてた。
ここぞとばかりに余裕を見せて「いやいや、ぜんぜん、いいですよ。」と言ってみた。
ダンディーさを演出するためにいつもより低めの声で言ってみた。

何かのイベントの粗品の、小さな箱の「アタック」をもらった。

これですべて完了。

と思ったら、異動先(York University)の地図など、プリントアウトできていない書類があることに気づく。
このときにはすでにオフィスの鍵を返却していたので、プリントアウトする場所がない。
図書館でも断られたので、「元」はす向かいのM氏の部屋を訪ねてプリントアウトさせていただく。
「カナダですか。いいですね。」にニヤニヤしながら答え、帰宅。

帰宅後も荷造り。

2010年9月28日火曜日

出発前々日(9月28日)

(淡々とした単なる記録。これを執筆しているのは2010年11月13日。)

午前中は家でHDD内のデータ整理。
主要なデータは(Eメールやその設定すら)外付けディスクに入れているので、それを持ち運びさえすれば整理する必要もないのだが、いちおう。

昼に大学近所のコーナン(DIYショップ)で段ボール箱を購入。
コーナンには捨てる段ボール箱が山と積まれているはずだが、ここで新品の箱を買うのがハイソな日本人の証。

オフィスの整理と荷造り。
出身研究室の後輩Tが現れる。
特に何をするでもなく、いつもどおり「あ、そういえば、」という話し始めの会話が淡々と続く。
19時にオフィスを出て、帰宅後もそれはそれで荷造り。

怒涛の一ヶ月

怒涛の一ヶ月。
通常業務、日心の準備、高飛びの準備。

第3週は、身内の祝い事で中国は瀋陽へ行った。
奇しくも祝い事は、満州事変の日であった。
日中関係はいろいろややこしいが、とにかく、我々の世話をしてくれたあちらの関係者は、みな温かい人たちだった。
ただ、親切やもてなしに謙遜は無いらしく、「お口に合いますかどうか」とか「つまらないものですが」という雰囲気は全くない。
したがって、「我々にできる最高のものを用意しました」と全力で熱烈歓迎され、それがあちらの礼儀なのだと知った。
そういうスタイルも有りだなと思った。






中国から帰国した次の日から日本心理学会のスタッフ。
僕はポスター会場の責任者だったけど、本部とのやりとりなどがメインで、実務はバイトの学生がきっちりこなしてくれた。
すばらしい。
二日目の朝に僕もポスター発表だったので、一日目が終わった後から朝4時までポスターを作成した。
一旦帰宅後、2時間仮眠をして出勤し、なんとか発表もこなせた。

種々業務の残務処理をしながら、カナダへ発つ準備をする。
日曜(26日)には、実家に帰った。
自動車に荷物を積み、ハニーに運転させた。
僕はバイクで帰った。
やはりバイクは気持ちよかった。



そして荷物とバイクを実家に置いて、その日のうちに自動車で再び京都へ。
京都縦貫道の上りの終端は、車線減少で一車線になり、かつ、すぐに信号があるので渋滞しがちだ。
そんなまま、料金を無料にしてしまったものだから、大渋滞だった。
それ以外の場所も、いかにも高速を走り慣れていない運転の車がたくさんいて、混雑気味だった。
とりあえず「高速代をケチるような奴を動かしたところで経済が動くか!」とか悪態をついてみたが、僕は実家に帰っただけだし、外食は普段からほとんどしないので、たぶんガソリン代くらいしか社会貢献できていなかった。

そうこうしている間に、あと数日でカナダだ。
はやく準備をせねば。
オフィスは徐々に片付いてきた。
しかしここからが進まない。

この写真は25日に撮影。


いろいろなひとが、「カナダに行く前に一度飲みに行こう」と誘ってくれる。
とってもうれしい。
今月の前半までは喜んでお誘いに乗っていたが、ここ数日は断らざるを得なくなっている。

2010年9月10日金曜日

イヤホン野郎と難聴者の違い

イヤホンで耳をふさいで車道をふらふら行く自転車、歩行者。
邪魔で危ないからやめて欲しい。
「じゃあ耳の不自由な人はどうするんだ」と反論があるかもしれないが、その考えは間違っている。
耳の不自由な人は気をつけて行動しているし、年季の入った人ならそれ以外の感覚が敏感になっている。